全国カラオケ事業者協会

 

レーザーディスク(LD)カラオケは'82年にパイオニアが初の業務用システムを開発。翌'83年には日本ビクターがVHDカラオケで、映像カラオケ市場に参入した。また、こうしたハードと歩調を合わせ、従来のカラオケ専業メーカーや映画レコード会社各社も相次いで映像ソフトのシリーズを発売。選曲、画像、歌いやすさといった各社のオリジナリティーを生かしながらしのぎをけずった。

こうして、映像カラオケは「絵の出るカラオケ」としてファンのすそ野を広げ、'89年から'91年には、カラオケ出荷台数の8割を占めるに至る。

一方のオートチェンジャー(リモコン選曲)は、'84年に第一興商とソニーがCDチェンジャーを共同で開発。コンパクトで簡単にリモコン操作ができるといったメリットが受け入れられ、需要を伸ばした。また、小型で持ち運びが可能であることも奏功し、旅館やホテルなどのバンケット市場にも浸透した。

オートチェンジャーは即座にLD、VHDにも採用される。スナックなどではカラオケを操作する手間が省け、人件費も削減できるとあって、マニュアルタイプ(手動式)からの買い換え需要を創出した。

映像カラオケは、後にCD-I、ビデオCD、CD動画など、最先端技術を採り入れて、コンパクトかつ高性能に進化を遂げる。オートチェンジャーは、各システムと組み合わせられ、オートタイプ(自動式)の市場を作り上げることになる。

それまでもクルーザーを改造したカラオケボックスなど、ボーカルスペースの変わり種は存在したが、船舶用コンテナを改造した屋外型カラオケボックスが岡山県に登場したのは'85年である。そこでは主にCDオートチェンジャーが導入されていた。複数の人々が利用するため、機器は利用者がソフトに触らない「非接触型(自動式)」である必要があった。そういう意味では、オートチェンジャーがカラオケボックスの誕生と普及を促したとも言える。

カラオケボックスは、それまでの潜在需要層ともいえる若者のニーズを満たし、酒場市場、バンケット市場に加え、まったく新しい市場を開拓した。当初、郊外のロードサイドが中心だったロケーションも、繁華街、ビジネス街など、商業地へも移行し、全国的なブームを呼ぶようになる。

'90年になって登場してきたのが集中管理システムである。レジャービルなどに複数のオートチェンジャーと管理コンピュータを配置したセンター室から、同軸ケーブルで界隈の契約店舗の端末にカラオケを提供する。最初は酒場が密集した歓楽街の効率化を目的としたシステムだったが、多曲化が図れること、ランニングコストを低減できることなどが評価され、その後、カラオケボックスや大型の旅館・ホテルにも採用されていく。

カラオケボックスの集客を目的とした採点機ブームやディスコ並の照明システム、音場空間を演出する音響機器アイテムが盛り上がりを見せたのも、カラオケボックス市場成長期に当たる'90年代前半の特徴である。

 

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