全国カラオケ事業者協会

 

それででしょうか。著作権課へ何度か事情説明に伺いました。


文化庁と言えば、著作権課の仲介抜きで、協定締結は語れませんよね。よくまぁ、過酷な会議に付き合ってくれました。


毎回夜遅くまでやっていた協定内容についての「予備交渉会議」でしょ。


えぇ、2ヵ月間に8回会議の場を持ったんですが、私共の都合で開始時間がどうしても遅くになるため、終電がなくなることもしばしばでした。しかし午前さまには慣れてらっしゃるようで、霞ヶ関が不夜城と呼ばれる所以かと、妙に納得したのを覚えています。


文化庁さんが仲介いただいたおかげで会議がとてもスムーズに進行しました。まったく中立でアドバイザー的存在なのですが、やっぱり慣れてらっしゃるんでしょうね。私としては判決云々の並行する議論から解放され、やっと建設的な話し合いができたことが嬉しかった。


お互いに認め合う気持ちが無ければ、役所が仲介に入ったところで、交渉ごとはまとまりません。やはり、音楽文化の健全育成、そして著作権擁護の精神で、両団体あい通じるところがあったと言うことだと思います。


そう言った意味でも、私共の初代会長・毛塚昇之助の存在は大きいですね。口ぐせは「カラオケは文化」。JASRACさんとの協定に関しても、うちの中では賛否両論ありました。どちらかと言うと賛成の方が少なかったぐらい。それを「文化と呼ばれる市場にもめごとや裁判沙汰があってはならない」と皆を説得したわけですから。

 

私が著作権課に着任したのが‘97年4月です。当時はカラオケスナックからJASRACが演奏使用料を徴収するに当たり、カラオケリース事業者の法的責任や協力の方法について、JASRACとJKAの間で硬直した状況が続いていたように記憶しています。

ただ、両団体から詳しく話しを聞かせてもらうと、JASRACも表面的には強い態度で出ていたものの、本音としては協力関係を結びたいという思いがあること。JKA側も法的な争いを固持するのではなく、実務面でJASRACに協力する考えを持っていることが分かりました。要はお互い話し合いによって解決する意向があったわけです。それで両団体から第三者に交渉に立ち会ってもらった方が話しを進めやすいということになり、交渉の場に私がアドバイザー的な役割で加わり、協定内容を固める会議(予備交渉会議)が開かれたわけです。

 

幾つもあるJASRACの管理対象の中でも、何十万件のカラオケスナックなどを対象とする演奏権管理(カラオケ管理)は、対象店舗の改廃も激しく、最も困難な管理と言え、管理を円滑に進めるためには、利用者団体はもちろんのこと、カラオケリース事業者の団体など、関係団体の協力が不可欠と言えます。JKAは、JASRACが初めて団体間協定を結んだ関係団体ですが、お互いの協力で、予想を大きく上回る管理率を短期間で実現しました。このことは、円滑な管理を進める上で、利用関係団体の協力がいかに有効であるかを示す成功例と言えるでしょう。

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